タイトル未定(仮)

「若い」と「女性」を言い訳に、偏見に塗れた主観を書きまーす。飽き性なので気が向いた時に書きまーす。ブログタイトルは思いついたら変更しまーす。

他者と生きるということ。

前回の投稿からすっかり時間が経って、今年もまた一つ歳を取ってしまった。

私は天秤座なのだが、かの石井ゆかりさんは、「天秤座は他者と生きる星」と仰っている。転職を考え悶々としていた時期に、同期に紹介され、かなり救われた気持ちになったものだ。ちなみに、ほかの星座もかなり当たっている(気がする)ので、ぜひ騙されたと思って読んでみてほしい(バーナム効果)。

(参考:『石井ゆかり星占い:てんびん座の本質|MYLOHAS 』

 https://www.mylohas.net/2013/01/027042libra.html

 

 

他者と生きる、ということだが、私は幼いころからかなり人間関係にコンプレックスがある。

 

さいころは周りの空気が読めず、人の気持ちを考えない発言ばかりして、周りの優しい人たちは「毒舌キャラだね」とか言ってくれていたけど、今思えば裏で何言われてたかわかったもんじゃない。

さらに、中学受験の勉強をさせられていたため、クラスでは頭の良い方で、それを鼻にかけて変なプライドもできあがってしまった(さらに言うと、塾ではそんなに成績がいい方ではなかったため、自己肯定感は下がっていくのだが、これは今回は置いておこう)。

 

中高生になって、それじゃいけないということに気づいて、今度は過剰に周りの顔色を窺うようになる。

忘れもしない、高校生の時、仲が良かった二人組が喧嘩をしたことがあって、私はどうしても仲直りしてほしかったから、間に入ろうとしたんだけど、それがまあ下手で下手で、結局片方の子から「あなたって八方美人だよね」と言われた時の衝撃は忘れられない。

少し歳を重ねて開き直った今でこそ、八方美人がなんぼのもんじゃい! と思えるようになったが、当時は、八方美人って悪いことなのか……と思ってかなり落ち込んだ記憶がある。

 

狭い中高一貫校を出ると、世界も変わって多少生きやすくなったが、逆に今まで出会ってこなかったいろんな種類の人たちに出会うことになって、情報量はかなり増えた。大学生前半の私は、たくさんの人と会って、自分の中のカテゴリ分けをしていくのに必死だった。

 

その中で、仲が良かった先輩が教えてくれた印象的な言葉が、

「自己は他者からの視線の集合体で、他者が存在しなかったら自己は成立しない」

というもの。詳細は忘れたが、こんなような内容だったと思う。

その時はあんまり腑に落ちなかったが、その後何年かして思うに、きっとこれが自己の本質なのだ。

 

私は人からの見られ方を気にするあまり、行動の大半がパフォーマンスになりがちである。大学のころはよくポーザーと言われた。

読ませたいターゲットを決めてツイート文を書いたり、「奏さんがいいねしました」が表示されることを願って、いいねを押したりする。

初対面の一回限りの人相手なら陽気に愛想よく喋れるのに、この先よく一緒にいることになるコミュニティ(会社、バイト先、サークルなど)では、自分のキャラを決めて円滑に会話ができるようになるまでにかなりの時間を要す。現に、そろそろ転職2か月目を終えようとしているが、職場の人とは未だ自己紹介と仕事の話しかできていない。陰キャコミュ障と言われればそれでおしまいだが、周りの人とうまくいくキャラを未だに決めかねている。

誰もそこまでてめぇのこと気にしてねぇよ! という感情も併せ持ったうえでのこの行動なのでもうしんどい。改善は絶望的である。

 

 

八方美人のエピソードを今鑑みるに、私は誰の味方にもなりたくないのだ。誰の味方でもなく、みんなの味方で、可能であれば正義の味方か、論理の味方でありたいのだ。

やらない善より、やる偽善。

というのを近年モットーにしているが、かなり自分の根本だと思う。

 

 

前職や、前職の業界は、まあまあよろしくない構造のコミュニティだった。

思い上がりの偽善者なので、なんとか救えないかなぁと思って、もちろん私の手ではどうにもならなくて、絶望して転職した。今は救えなかったモノたちから目を背けて仕事をしている。

昔付き合っていた人と別れるときも同じようなことを思った気がする。

私がもっとこうしていたら、この人は変われたかも、とか、救えたかも、とか、

いやもうめちゃくちゃ傲慢だよな。

てめぇの小さな手ごときで何を救えると思ってんだよ。

他人の人生なんで救えねえよ、ましてや会社だか業界だか、そんなもんあんた自分の手でどうにかなるとでも思ったのか? てめぇ何様だ?

まってここまで書いたの読んだけどめちゃくちゃ情緒不安定な人みたいじゃん。いや違うんだ、ただプライドが馬鹿みたいに高くて、反比例するように自己肯定感がアホほど低いだけなんだ。他者と生きるとか以前に、自己のなかの大きすぎる矛盾がやばい。まずは君が落ち着け(水)。

 

 

でも、理想論大好き人間なので、いつかこの偽善が本物の善になったりしないかなぁとかいう夢物語を未だに捨てないでいる。

まがい物だろうとなんだろうと、貫きゃ誠になるはずだ! って誰かも言ってたからさ、絶望とか書いたけど私じつは結構現世に希望を持ってるんだと思う。

石井ゆかりさんも、絶望を乗り越えた星座って書いてたしね。

 

結局、人間苦手とか言いながら、他者が好きなんですよ。他者が何を考えて、どうやって生きてきて、どうやって生きていくのか、聞いて、考えるのが好きなんですよ。じゃなきゃ人間を投影した人形なんてものを卒論の題材に選ばないでしょ。

そしていつか偽善が善になったら、小さな範囲でもいいから、目の前の人を救ってみたいね。これが驕りで止まらない程度の力を身につけなきゃいけないね。明日からも頑張って働こうね。

 

というこれまたポーザーみたいな文章ですね。一部から叩かれそうだけどまあ多少はね。

とりあえず強くなるまで偽善を続けていくぞ。