タイトル未定(仮)

「若い」と「女性」を言い訳に、偏見に塗れた主観を書きまーす。飽き性なので気が向いた時に書きまーす。ブログタイトルは思いついたら変更しまーす。

サービスに対価をもらうこと

前回の「サービスに対価を払うこと」はこちら→→http://hidexxx1213.hatenablog.com/entry/2017/07/04/115150←←

さて今回は逆で、対価をもらうことについて。
払うこともそうなんだけど、このへんの話に関してよく考えてはいるけれど、それでも自分がきちんと実行できているとは思えなかったりするので難しいところである。
けどもまあ、そういうことちゃんとできる大人になりたいなっていう希望や理想みたいなものも込めつつダラダラ書いてみようと思います。

バイトをしていると、暇だなぁこんなんで時給もらってて申し訳ないなぁ、とか、自分の能力が足りなくてこれでこの時給は高いなぁ申し訳ないからちょっと返したいわ…、とか思うことがよくある。
バイトでも仕事でも作品を売るとかパフォーマンスをするとかそういうことでも、対価をもらってるって忘れがちだけど、そこは常にちゃんと意識しなきゃいけない。
対価もらってるのに今日はこれしかできなかったな、って思ったら、次回は倍頑張らなくちゃ割りが合わない。


私はまだ学生だし仕事といってもバイトの立場だけれど、これが一番わかりやすくて一番実感できるのがライブの時である。

たとえばこれは自分がライブにいく側になったときに思うことだけれども、今日は18時から目当てのバンドを見にいくぞってなったら、16時からメイクや着替えを始めて、17時には家を出て、スイカチャージして電車に乗って、少し前に箱に着いて、2000円だか3000円だかを払って、それでライブ30分見て、また電車で帰って着替えてメイク落として……って、本チャンのライブ30分に対して、見にいく側もそれ以外の労力がめちゃくちゃかかっている。
この労力費やしてこれくらいのライブか…って思う時もあれば、この値段でこのライブは安いよ!良いもの見せてもらった!!!って思う時もある。
(余談だけどこれを一番思ったのは1月のガンズ来日であった。あのメンバーをたまアリで見られただけで私は3万円までは払えるわ…と思った)

そう考えてから自分がライブをする側、見に来てもらう側になると、多少なりとも意識が変わってくる。
自分が今日出るライブは極端に言えば、(チケット代+前後の労力や交通費)×観客動員数、これと同等の価値があるものにしなければならない!と思うわけである。

「価値」と書いたけれど、もちろんそれはこちらでは測れない。見てくださった方が決めることである。
曲や作品の完成度、パフォーマンス、その人の人柄、その人と自分との仲の良さ具合(?)、などなど、どこに重点を置くか、どこに価値を感じるかはお客さんそれぞれの問題である。
めっちゃ美人だけど演奏が下手だから自分はこのライブには行きたくない、とか、技術はないけど可愛いし応援したいからお金払って見にいってあげたい、とか、そこは自由である。
しかしどちらにせよどんな形であれ、提供する側はそれを価値を感じてもらえるものにしなければいけない。
私は一年前、自分は人より可愛くもないし、演奏も上手くないから、とりあえずツイッターくらいは頑張ろ!と思っていた。
それが価値を感じてもらえているかはわからないけど、常に意識はするようにしなきゃなぁとは思っていた。
偉そうといえば偉そうなんだが、それをわかってやっている/努力している人は、少なくはないと思うけれど、多いとも思えない。
そりゃ売れるわけがない。


逆に、対価以上のサービスをしてもいけない。
というのはだな例えば、仕事でカメラとか映像編集している人に、
「普段やってるんだから私の結婚式のビデオもちゃちゃっと作ってよー友達でしょー」
とか言う人がいるんだそうだ、信じられないことに。
逆に、
「友達だしタダでやってあげるよ〜」
と言うプロもたまに見る。いくらそれが生計の主たる糧でなくても、普段はお金をもらってやってるんならそれはプロである。
友達割引くらいはいいけどね、親しき仲にも礼儀あり、ご飯おごるでもなんでもいいけど、ちゃんとなにか対価はもらわなきゃダメなんである。

友達から金取るのかよ!ではない。
プロにただでやらせんのかよ!!である。

本当にいろんな人がこの危うさについて語っているのに、なぜなかなか浸透しないんだろうな。
ひとりが一度タダで引き受けたせいで、
「あっこの仕事そんなに大変じゃないんだー、じゃ他の人もタダで/安くやってくれるだろう!」
と勘違いする馬鹿が出るかもしれない。
そうなると別のプロが正当な請求をしたときに、
「えっあの人はタダでやってくれたのに!」
などと言い出し揉める、もしくは値下げせざるを得ないプロが出てくるかもしれない。そうなったら負のスパイラルである。
そんなこと言うアホいるの、と思ったそこのあなた、大変正しい感覚です。いるんですよほんとに。信じられないかもしれんけど。

これはツイッターで見た話だが、こういうところの感覚は夜職経験者(=お金/対価に対してシビアだから?)のほうがしっかりしているらしい。というか夜昼関係なく、なんでそんなにルーズになれんの?と私は思ってしまう。
あーいう人たちは自分が無給労働させられても怒らないんだろうか。明らかに不当なサービス残業でもさせられないとわかんないんだろうか。謎すぎるぞ。
(とかいうと一定世代の中には、やれゆとりだそれさとりだ俺の頃はサービス残業なんて当たり前云々と言い出す方々が時々いらっしゃるが、いやそれ誇ることじゃなくないすかそっちのが異常だからあと時代違うから周りよく見て今後ゆとりが自分は受け取れない年金を払うんだからな)

うーん長くなってしまった。
とりあえず社会を垣間見てるゆとり大学生が思うことはこんなもんです。社会人になったらまた感覚が変わるのかなぁ。
よい社会人になれますよーに!