タイトル未定(仮)

「若い」と「女性」を言い訳に、偏見に塗れた主観を書きまーす。飽き性なので気が向いた時に書きまーす。ブログタイトルは思いついたら変更しまーす。

未練と似て非なるような、なんだかよくわからない感情。

1年ちょっと続けたバンドを辞めることになった。

来年から社会人になるし、卒論も書かなきゃいけないし、人生の夏休みラスト数ヶ月、勉強し残したことや行きたい旅行先、まだまだ飲みたい人、やりたいコピバン、いろんなことが重なりすぎてどうしていいかわからなくなった結果だ。

絶対倶楽部は私にとって初めての「趣味じゃないバンド」で、初めてフライヤーを刷って、初めて自ら集客や営業を学んで、初めてグッズを作って、初めて身内じゃないお客さんが見に来てくれて、初めて遠征の対バンさんと会って、初めて主催イベントをして、初めてインストアイベントを開催して、本当に初めて尽くしの面白い1年間だった。

 

辞めたいです、と初めて言った時、メンバーは一旦シーンとしてからめっちゃくちゃ引き止めてくれた。素直に嬉しかった。だけど辞めようという決意はどんなに言われても揺らがなかった。

それが、皆に向けて脱退発表をすることになった瞬間突然、なんだか寂しいようなもう少しいたいような感傷的な気持ちになる。自分の判断は正しかったんだろうかと、とてつもなく不安になることもある。

でもこの感情が一時のまやかしであることを私は知っている。

冷静じゃない土壇場のときの一瞬の気持ちはだいたい錯覚で、この「未練」と勘違いしやすい謎の感情に一度囚われるとなかなか抜け出せなくなるものだ。

現実から目を背け、本当はもう終わりの来ている恋人と、もしかしたらやり直せるんじゃないか、まだ大丈夫なんじゃないか、と思ってしまい別れられずに泥沼になるのと一緒だ。

これは、筋肉少女帯の「サンフランシスコ」であって、BonJoviの「Livin' on a prayer」ではないのだ。

 

未練というのは、終わったことに対して名残惜しく思う気持ち、であると私は思う。

だからこの、終わることになった瞬間突然後ろ髪引かれるような騙されちゃいけない錯覚、は未練とは似て非なるものだ。

なんと名前をつけたらいいんだろう。

でも個人的にはこの錯覚に囚われた時の空虚な気持ち、なんとも言えず好き。笑

GW

世はゴールデンウィークだったらしい。

私もスタジオとライブを除いては、かなり楽しい3日間を過ごしはしたが、せっかくのゴールデン(なはずの)3日間がゴールデンではなくなる要素もありすぎて、なんだか複雑な休みではあった。

 

まずさぁ、ゴールデンウィークって観光地どこも混むじゃない?

そう考えたら大学生にとっては、ゴールデンウィークより普通の土日(&前後の金・月も全休にしちゃえばOK)のほうがゴールデンだったりするのよね。贅沢な話。今年中に遊び尽くしておかないと。

 

あとは小旅行中に、プライベートの人間関係が細く続いていたこと。旅行中はなるべく他の人とかとの連絡を断ちたくなってしまうので、こういうのは意外にも面倒。

 

ひとつは、主催イベントを控えたバンド云々のお話し合いである。まあ仕方がない。主催イベント直前に旅行に行く私も悪い。笑

 

もう一つは、親友から就活の相談。これはかなり心にキた。

私は業界柄、去年の冬から動き始めていたこともあって、周りに比べれば早く就活が終わったのだが、親友はまだまだ就活の真っ只中のようで。就活を早く始め早く終わらせた “先輩” としてはアドバイスをあげたいところだが、親友に、それも普段は尊敬すらしているような同級生に偉そうにアドバイスをするのはかなり心が痛んだし、かといってどうしてあげればいいのかもわからなかった。

 

私は、人になにかを教えるとか伝えるとかいうことが昔から苦手で苦手で、地獄の女子校時代を6年過ごし、いろんなバイトやバンドの営業やらをやってきてやっとマシにはなったと思っていたが、どうもそうでもないらしい。

例えば後輩とか家庭教師の生徒とか圧倒的に立場が下の人には、うまく煽っておだてて教えることはできる。年上や先輩、目上の人を立てながらなんとか自分の意見を言うこともできるようになってきた(説得できる確率が高いとは言っていない)。

しかし、バンドメンバーとか同期とか恋人とか、ある程度並列な相手には、尊重を含みつつアドバイスを伝えることはまだまだとても苦手で、なんといえば小馬鹿にして聞こえないのかとか、なんといえば気持ちよくやってくれるのかとか、なんといえば甘やかしすぎず厳しすぎず伝わるのかとか、そういうのが全然わからない。

経験あるのみなんだろうか。

 

そんなことを考えたゴールデンウィークであった。

あれ、どこ行っても混んでる話、あんま関係なかったな。ま、いっか。

未来、過去、現在 愛、夢、依存

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写真展を見に行った。

小森裕佳さん、相馬ドリルさん、そしてPokoさん。

三者三葉、いろんなことを考えさせられる展示であった。

 

就活の用事が早めに終わり、なんとなく思い立ってひとり下北沢へ。

個人的に下北沢に来るのは約1年ぶり、前回の上陸理由なんかも思い返しつつ、小さな路地の3階にあるギャラリーに向かう。

知人を介してPokoさん、小森さんに挨拶させていただいた。両者とも良い方だった。

 

小森さんのブースは優しい空気で満ち溢れていて、下着でも変なエロさはなく、サイレントなのに柔らかい音が流れてくるようだった。

空間そのものの美しさに見惚れてしまった。

未来の理想形のような空気だった。

 

相馬ドリルさんの写真は逆に、ダイレクトなアダルトさと少女特有の危うさのようなものが程よい妖艶さを生み出していて、お洒落なギャラリーの白い壁とのミスマッチ感も不思議に印象に残った。

一昔前の自分なら確実にハマっていただろうが、なんとなく今の私には刺さらず、なんだかある種の成長を実感したような気にもなった。

 

 

今の私に一番刺さったのはPokoさんの写真だった。

被写体の女性が知人で、前から話を聞いていたということもあるのかもしれないが、それを差し置いても感情を突き動かされるものだった。

ブースには時系列ごとに夥しい枚数の写真があり、2014年から月毎に詳細なキャプションがついていた。なんとなく、その頃自分の身に起きていた事なんかを思い出しながら見て回った。

全ては彼の目線から見た、彼とその周りの女性の日常で、ただの紙からいろんな感情が伝わってきた。

途中から涙を堪えていた。

無意識のうちに、自分や、自分が今まで出会ってきた人たちを重ねて見ていた。

女性たちはみんないい顔をしていて、きっとそれはこの世界で彼たった一人にしか撮れないものなのだろう。たくさんの女性たちを全て見てきたカメラとBedはなにを思うのだろうか。

 

映像作品を見てとうとう涙腺が決壊。

きっと彼の求めているものは、永遠に手には入らない。たくさんの女性が周りにいても、完全に満たされることはない。

私では何もできないことも知っている。それでも、このひとをどうにかしてあげたい、と思う女性たちの気持ちは痛いほどわかった。

 

 

彼は何かに怯えるように、何かから逃げるように、必死に彼女らに何かを投影し、何かを探し求めているように見えた。

そして、似たような男女は他にもたくさんいると思った。

 

果たして彼らが見ているのは、本当に彼女らなのだろうか。

彼女らの行為は、単なる自己愛・共依存なのだろうか。それとも、それに気づいた上での強い無償の愛なのだろうか。

 

どうしたらかれらは救われるのだろうか。

 

本人が幸せであればそれで良くて、私のような他人が口を出すべきことではないこともわかっている。

 

それでも考えてしまうのは、きっと自分も似たような部分をどこかにまだ持っているからなのだろう。

 

 

どうせ誰も見てやいないし、好き勝手して何が悪い

人生で初めてブログというものを書く。

 

私の世代ではNiftyが流行っていて、ニコッとタウン内ではブログを持っていたような気もするが、果たしてあれはブログと呼べるのか…みたいな散文詩レベルだったしノーカンとしよう。

 

前々から、140字じゃ足りないこともあり、かといって連投も何かなあ、ブログでもやろうかしら、と思っていたのだが、この度友人(cnn)がはてなブログを始めたというのをツイッターで見かけて、ノリで登録してみた次第だ。

去年くらいまでは手帳にコマコマと日記を綴っていたが、最近はその気力も減り、まったく日々のことを書かなくなってしまった。寂しい。

 

ここは、気軽に、テキトーでもとりあえず完成させることを念頭において書く場としたい。

どうせ誰も見てやいない、好き勝手発散しよう。