タイトル未定(仮)

ex.絶対倶楽部/DeadRage(準備中) ベース。飽き性なので気が向いた時に書きまーす。ブログタイトルは思いついたら変更しまーす。

初期値

先日、久々に会う地元の友達と近所で朝まで飲んだ。

 

そもそもはAちゃんが私の大学の学園祭に来たいということで、ふたりで学祭に行ってから、近所まで戻ってきてご飯を食べていたところに、終電で戻ってきた仕事帰りのTくんが合流し、話し込んで気づいたら朝になっていたという次第である。

 

大学に行かないで社会人になったAちゃんは、大学生いいなー学祭楽しいなーと言っていたのだが、私から言わせるとAちゃんのほうがよっぽど羨ましかった。

Aちゃんは、大学にも行かなかったし仕事も続かないと卑屈に言っていたが、SNSの文章はいつも読みやすくて頭の良さが伺えるし、話していても現役大学生の私と同じレベルで物も知っているし、頭の回転も早いし、コメントのキレも最高である。

喋っててめちゃくちゃ楽しいけど、これじゃなんのために私が高額投資してもらって大学に行ったのかよくわからない。ガックリした。

 

というか、Aちゃんがもったいないのだ。

高校までの勉強でそれだけ頭が回るってことは地頭がいいんだから、きっとちゃんと暗記物とかして大学受けたら良いところに入れていたんだと思う。

私は小さい頃から、地頭も運動神経も人並み以上に悪くて、一方で親は地頭も良く小器用なだけに、私に求めるものも高くて、自分の子ならこんなことはできるはずだ、と散々私に時間とお金をかけて努力させ、私も本当に人並み以上に努力して、それでも親には一生追いつけないだろうというコンプレックスを薄らぼんやりと抱いたまま、なんとかここまで来た。

そういう私からしたら、親に何も言われず、勉強を強制されることもなしにあんなに頭が良い=地頭がいい、Aちゃんや絶対倶楽部の天鶴ねーさん(突然の登場!)みたいな人は、物凄く物凄く物凄く羨ましいわけである。

 

私はもう地頭悪く生まれてしまったし今更悔やんでもしょーもないので諦めて今後も人並み以上に努力するとして、上記のような地頭の良い人は、本当にもったいないと思うのだ。

Aちゃん本人も言っていたが、結局学歴差別の蔓延る現代日本で、表層しか見ない多くの人間は、元々地頭がよくちゃんと勉強すれば絶対にいい大学に行けたであろうAちゃんよりも、元々人並み以上に地頭が悪かったのに物凄いお金と時間と努力を犠牲にやっとこさ四大に入った私のほうを高く評価するのだろう。

もしもいま突然ふたりに同じ仕事を任されたとしたら、全然自慢できないが私はAちゃんに負ける自信がある。

もしくは私がAちゃんの倍努力してやっと同じくらいのレベルになるくらいだと思う。

それでも世間は大卒のほうを評価しがちで、下手したら高卒には同じ仕事を任せてくれるまでもいかないんだろう。伸び代はAちゃんのほうがありそうだと言うのに。

Aちゃんのような人こそ大学に行って良い仕事についてバリバリ働くべきなのに。

 

もう一人、疲れているだろうに一時過ぎに合流してくれたTくんも、専門学校から社会人になったクチだ。

Tくんは料理の専門学校に行ってから今は某店でシェフになるべく修行をしているそうだ。

話を聞けば朝から終電まで休憩もほとんど取れない激務で、それでもいつか家族と一緒に店を持つ夢があるから、料理がほんとうに好きだから頑張れるらしい。

(あっこれ口止めされたのにどうしても書きたくて書いちゃったごめんねTくん!もしTくんのご家族と知り合いの人いたら絶対に絶対に言わないでくださいね!)

純粋にかっこよすぎて軽く引いた。

家族といっしょにとかそんなドラマみたいな話があってたまるかよ!!ラストレシピかよー!!!(ちなみにラストレシピめっちゃ良かったからみんな見てね)

私には夢も目標もないし、不器用だから日々を生きるので精一杯で、そんな何年も先のこととかそのために何が自分に必要かまで考えられない。

さらにはAちゃんもTくんも実家の土地運用をどうするかなど話し始めて、そりゃ私には運用する土地がないから知識がないだけかもしれないが、私よりよっぽど知識もあるし、同い年なのによっぽどしっかりしているし、終始感銘を受けながら聞いていた。

 

もちろんそんな恵まれまくった家庭事情の人のほうが少ないのかもしれない。

でも私は、今と大して変わらないアホ面でへらへらサッカーばかりしていた小学3年生のTくんからは想像できないなぁ……当時は私のほうがテストの点が良くて(そりゃ親に勉強させられてたんだから当たり前だ)バカにしたりしてたのになぁ……立派になったんだなぁ……と思ってしみじみしてしまったのである。

 

一番嬉しかったのは、二人の境遇をいいなーいいなー言い続けた私に、ふたりが

「(もしその話が卑屈とか盛ってるとかではなく本当だとしたら、)その初期値からよく頑張ってそんな大学まで入って、その努力だけで充分偉かったよ」

と言ってくれたことだった。

大して考えもせず適当に言ったのかもしれないが、この言葉で私はだいぶ救われたというか認められたような気がした。

 

それからもう一つ、私には徹底して好きなことも、熱中できることも、料理人とか資産運用とかそんな夢もないから、武器はこの学歴(といったって上には上がいるが…)と、生まれた瞬間の全ての初期値からここまでの大成長の努力だけだから、

この調子で努力しつづけて、自分とあと一人二人養えるくらいまでになりたい!強い女になる!!(結局そこにいきつく笑)というのを目標にすることにした。

 

目指せスーマラ田中の嫁!!!

サービスに対価をもらうこと

前回の「サービスに対価を払うこと」はこちら→→http://hidexxx1213.hatenablog.com/entry/2017/07/04/115150←←

さて今回は逆で、対価をもらうことについて。
払うこともそうなんだけど、このへんの話に関してよく考えてはいるけれど、それでも自分がきちんと実行できているとは思えなかったりするので難しいところである。
けどもまあ、そういうことちゃんとできる大人になりたいなっていう希望や理想みたいなものも込めつつダラダラ書いてみようと思います。

バイトをしていると、暇だなぁこんなんで時給もらってて申し訳ないなぁ、とか、自分の能力が足りなくてこれでこの時給は高いなぁ申し訳ないからちょっと返したいわ…、とか思うことがよくある。
バイトでも仕事でも作品を売るとかパフォーマンスをするとかそういうことでも、対価をもらってるって忘れがちだけど、そこは常にちゃんと意識しなきゃいけない。
対価もらってるのに今日はこれしかできなかったな、って思ったら、次回は倍頑張らなくちゃ割りが合わない。


私はまだ学生だし仕事といってもバイトの立場だけれど、これが一番わかりやすくて一番実感できるのがライブの時である。

たとえばこれは自分がライブにいく側になったときに思うことだけれども、今日は18時から目当てのバンドを見にいくぞってなったら、16時からメイクや着替えを始めて、17時には家を出て、スイカチャージして電車に乗って、少し前に箱に着いて、2000円だか3000円だかを払って、それでライブ30分見て、また電車で帰って着替えてメイク落として……って、本チャンのライブ30分に対して、見にいく側もそれ以外の労力がめちゃくちゃかかっている。
この労力費やしてこれくらいのライブか…って思う時もあれば、この値段でこのライブは安いよ!良いもの見せてもらった!!!って思う時もある。
(余談だけどこれを一番思ったのは1月のガンズ来日であった。あのメンバーをたまアリで見られただけで私は3万円までは払えるわ…と思った)

そう考えてから自分がライブをする側、見に来てもらう側になると、多少なりとも意識が変わってくる。
自分が今日出るライブは極端に言えば、(チケット代+前後の労力や交通費)×観客動員数、これと同等の価値があるものにしなければならない!と思うわけである。

「価値」と書いたけれど、もちろんそれはこちらでは測れない。見てくださった方が決めることである。
曲や作品の完成度、パフォーマンス、その人の人柄、その人と自分との仲の良さ具合(?)、などなど、どこに重点を置くか、どこに価値を感じるかはお客さんそれぞれの問題である。
めっちゃ美人だけど演奏が下手だから自分はこのライブには行きたくない、とか、技術はないけど可愛いし応援したいからお金払って見にいってあげたい、とか、そこは自由である。
しかしどちらにせよどんな形であれ、提供する側はそれを価値を感じてもらえるものにしなければいけない。
私は一年前、自分は人より可愛くもないし、演奏も上手くないから、とりあえずツイッターくらいは頑張ろ!と思っていた。
それが価値を感じてもらえているかはわからないけど、常に意識はするようにしなきゃなぁとは思っていた。
偉そうといえば偉そうなんだが、それをわかってやっている/努力している人は、少なくはないと思うけれど、多いとも思えない。
そりゃ売れるわけがない。


逆に、対価以上のサービスをしてもいけない。
というのはだな例えば、仕事でカメラとか映像編集している人に、
「普段やってるんだから私の結婚式のビデオもちゃちゃっと作ってよー友達でしょー」
とか言う人がいるんだそうだ、信じられないことに。
逆に、
「友達だしタダでやってあげるよ〜」
と言うプロもたまに見る。いくらそれが生計の主たる糧でなくても、普段はお金をもらってやってるんならそれはプロである。
友達割引くらいはいいけどね、親しき仲にも礼儀あり、ご飯おごるでもなんでもいいけど、ちゃんとなにか対価はもらわなきゃダメなんである。

友達から金取るのかよ!ではない。
プロにただでやらせんのかよ!!である。

本当にいろんな人がこの危うさについて語っているのに、なぜなかなか浸透しないんだろうな。
ひとりが一度タダで引き受けたせいで、
「あっこの仕事そんなに大変じゃないんだー、じゃ他の人もタダで/安くやってくれるだろう!」
と勘違いする馬鹿が出るかもしれない。
そうなると別のプロが正当な請求をしたときに、
「えっあの人はタダでやってくれたのに!」
などと言い出し揉める、もしくは値下げせざるを得ないプロが出てくるかもしれない。そうなったら負のスパイラルである。
そんなこと言うアホいるの、と思ったそこのあなた、大変正しい感覚です。いるんですよほんとに。信じられないかもしれんけど。

これはツイッターで見た話だが、こういうところの感覚は夜職経験者(=お金/対価に対してシビアだから?)のほうがしっかりしているらしい。というか夜昼関係なく、なんでそんなにルーズになれんの?と私は思ってしまう。
あーいう人たちは自分が無給労働させられても怒らないんだろうか。明らかに不当なサービス残業でもさせられないとわかんないんだろうか。謎すぎるぞ。
(とかいうと一定世代の中には、やれゆとりだそれさとりだ俺の頃はサービス残業なんて当たり前云々と言い出す方々が時々いらっしゃるが、いやそれ誇ることじゃなくないすかそっちのが異常だからあと時代違うから周りよく見て今後ゆとりが自分は受け取れない年金を払うんだからな)

うーん長くなってしまった。
とりあえず社会を垣間見てるゆとり大学生が思うことはこんなもんです。社会人になったらまた感覚が変わるのかなぁ。
よい社会人になれますよーに!

つよいとかよわいとかいうこと

大切なものが増えると人は弱くなるなぁと思う。


見た目とか名声とか立場とかバンドとか学歴とかなんでもいいんだけど、それを守ろうとすると何かを犠牲にしなきゃいけなくなるというか、何かを捨てなきゃいけないというか、

例えば本当に言いたいことが言えなくなったり、他のことにお金や時間を使えなくなったりするわけで。

それが増えるとそりゃあもうがんじがらめである。

あっちこっち気遣ってさ、自分のほんとに好きなこととかやりたいこととか言いたいこととか表に出せなくなって、いつか全部よくわかんなくなってさー。こわいこわい。


かといって、守るものがない=強い、ではないのだよなぁ。

つよいってなんなんだろなぁってずーっと考えてきてるけど未だによくわかんない。

とりあえず暫定的に思ってるのは、

自分にとって大事なものを守りながら、それでも自分らしさを忘れないこと、

それがつよいってことなのかな、と今のところは思っている。



バンドをひとつ脱退してから2週間、知り合いの子のバンドを見にいった。

JACKASSっていって、私は忙しかったのもあってそんなに熱心なファンでもなく、数回しか見にいけてなかったんだけど、ちゃんと覚えてくれてて喋るとほんとにいい人たちで(実際は1〜2個下なんだけど笑)、4ピースなのにめちゃくちゃ華やかな音圧で賑やかでパワフルなライブをするバンドで、音楽をやる身としても、一ファンとしてもとっても尊敬してて好きなバンドなんだけど、まあそこはちょっと置いといて。

ベースの子がその日脱退だったので、久しぶりに見にいったのね。


最後まで笑顔で賑やかで楽しそうに弾ききって、私の脱退のときの状況とはそりゃあ違うかもしれないけれど、彼らもその周りの人たちもたくさん考えて葛藤してその末にこの瞬間を迎えたのかなって思ったら無事涙腺崩壊、自分の脱退の時はなかった涙が止まらなくなりました(比喩表現)

女って感情が自分でもよくわからんままとりあえず泣くって言うけどそのとーり、ほんとなんで泣いたんだろね。


バンドじゃなくても、なんでもそうだよね。

全部大事なものなのに優先順位をつけるって難しいしつらいけど、やっぱりそれを全部抱えたまま何にもわからなくなっちゃってぐちゃぐちゃになるよりはマシ、というかそうしないと生き抜けない時もきっとあるんだな。つらいんだけどね。

それは世間のジャッジとは関係なくって、自分の中での勝負だし人が云々言う問題じゃないし、真偽はもしかしたら本人にもわからんかもしれないけれど。後悔したって自己責任だし。

でも、そこで自分の中の優先順位なんかを自分で見極めてジャッジできるってのはひとつ、つよいってことなんじゃないかなぁ。


当たり前に見えて難しいことですよね。



なんてもうすぐ22の私は若気の至りで考えてますけれども。

10年後とかにこれ読んだら、「ケッそんなごちゃごちゃしたもん存在しねぇんだよっただ生きるだけだよっ!」とか思うかもしれないんですけれども。

そこまで成長できたらなぁ!今後に期待。


ちゃんちゃん。

教育と規制

重大犯罪者(性犯罪に限らない)って、性教育に厳格で真面目な母親に育てられた例が意外に多いらしい。

どこかで読んだだけでソースがしっかりしてないんだが、思春期に当たり前レベルの性的なモノ(表現は曖昧で許してくれ)に触れていないと、その後性格が歪むだかなんだか、という内容だったように思う。


まあこれはだいぶ極端な例ではあるが。



私は中高6年間、女子校にいた。

異様だった。

今思うと本当にヤバい空間だった。

すんげぇ多額の学費を払ってくださった親などにはもちろん感謝しているが、行きたくなかったとか私が友達が少なかったとか馴染めなかったとかそういう問題じゃなく(真偽は置いておこう)、普通にあの空間は異様すぎる、なんかおかしい。


これは全女子校というかうちの高校だけかもしれないが、同級生の噂などを聞くと、大学1.2年のころは見事に二極化していた。

ビ◯チか、異性まともに話せない/恋愛できない拗らせた子か。

(ストレートだと)大学4年生の代である今となっては、どちらの層の人たちもマシにはなったと思うが、ほんとに極端な卒業生たちである。

前者は、それまで上げてこなかった経験値を、短期間で「普通の人」と同じかそれ以上のレベルに上げようとする(基本不器用なのでその結果だいたい基準値を超えてしまう)。

後者は、単純に女子校時代と同じ経験値のまま生きていこうとするタイプである。

まあどちらがいいとか悪いとかではない(本当に一番いいのは中庸だ!!)

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(※図は主観でのイメージです)


でも仕方ないじゃん!

だって思春期に女しかいない環境だったんだよ!?

学外に男友達がいたとしても、日中の大半を過ごす場所に女しかいないんだぜ!!

そりゃまー共学出身者とは違う人種にならざるを得ないよね。


そしてこれはまあ大学デビュー勢である私にも問題があるんだが、平日は制服しか着ず、休みの日は家で勉強もしくは引きこもり、たまに友達と出かけるとしても気心知れた女だしいいやってなって適当な私服しか持っていなかった人間が、大学に入って突然適切な服やメイクを身につけられるだろうか!?


はいもちろんNOですね。


高校の頃はケータイも持たせてもらえずお小遣いもろくに貰えず染髪ピアスなど以ての外、なんなら読む本まで某国並みの言論統制が敷かれていた環境で生きてきた私が、突然バイトを始めて(それまでと比べると)多額のお金を手にしたらそりゃー今までできなかったことや欲しかったものを埋めるべく、退行現象(?)が起こるに決まっているではないか!!

というわけで、普通なら中高時代に卒業しているであろう安っぽい厨二病的な服やあまり食べさせてもらえなかった駄菓子や今までと全く違う交友関係に狂ったようにハマり(しかし今写真を見るとやっぱりメイクとか芋っぽい)、去年や今年になってやっとそのへんを卒業して普通のオトナに近づけるよう努力しつつはあるけど、やっぱりスタートダッシュが遅かったぶん成長スピードは遅いのである。


うーむ。

とりあえず私は大学生のうちにかろうじて経験値爆上げに成功してよかったな……

これに関してとやかく言われる筋合いはないぞ。


人のせいにするわけではないが、もしも私に子供が産まれた暁には、ヤンキーにならない程度に年相応のモノを与え、せめて年相応の経験をさせてあげたいと切実に思ヒマス。

カラオケが嫌いな話。

まったく、カラオケボックスってなにが楽しいのかわからない。

 

まず、私はめちゃくちゃ歌が下手である。正しい音が出せない。そのくせ耳だけは肥えていて、絶対音感があるもんだから、自分が歌っているのを聴きながら、あー音が違う〜…などとイライラヤキモキするわけである。

フルートを昔やっていたおかげで腹式呼吸は出来るはずだし、正しい音もわかるってことはあとは技術の問題で、思った音がきちんと出せるように練習すればいいだけの話なんだけど、練習してまでうまくなりたいほど楽しくもないし、そんな必要性もない。

そんなわけで自分が歌うのは大嫌いである。

ゆえに、ほかの人は歌っていて楽しいのかなぁ…?と、そこも理解できない。

 

次に、全く知らない歌を聞いてなきゃいけない意味もわからない。

そりゃあたまには自ら聞かないジャンルの音楽に触れる機会にはなるが、べつにカラオケ代を払ってまで聞くほどでもない。それも素人だ。なまじ耳が肥えているので、不快なものにカラオケ代を払うのかぁ…と萎える。でもカラオケうまい人もいるじゃないか、と思われるかもしれないが、もちろんそれはそれで見ていて楽しいは楽しい。ただどんなにうまくても、エグザイルや西野カナを歌われちゃたまらない。万札置いて速攻帰る(盛った)。つまり、私もカラオケ代出してもいいって思えるほどうまい人もしくは好きな人が、Xやガンズやミスチル、きのこ帝国やセリーヌディオンやサンホラなどを歌ってくれるのであればそりゃあ私だって何時間でもいる。

しかし現実にはそうもいかない。

流行りの薄っぺらい歌やいわゆるモテ曲?(ありきたりな言葉を並べたぜんぜん響かない物)、最悪聞いたこともないような演歌などを延々聞かされ、曲が終われば拍手をし前曲と被らないような感想を述べなければならず、トイレやドリンクバーに立つタイミングも計りに計り、いやだと言うのにお前も歌え歌えと強要されたり(歌っても断っても微妙な空気になるし)、挙げ句の果てにはワリカンで私までカラオケ代を払わせられる。まったく、時給もらいたいくらいだと言うのに。

 

そんなわけで、プライベートではカラオケに行かないようにしている。行くとしても、気遣い無用でお互いのクオリティに口出ししないでいいとか、趣味ががっちり合うとか、とにかく心を許した人間でないと本来は行きたくないわけである。もしくは全額出してくれるか、ね。そうじゃないカラオケの誘いはことごとく断る。それで関係が悪くなるような奴はきっと仲良くなれないからもう良い。たぶんそういう奴は自分が歌ってる番でトイレに行ったらあとからネチネチ言い、歌いたくない奴に一曲強制するような人間なのである(独断と偏見)。

 

んな事言ったってたまには断れない「お付き合いカラオケ」もあるでしょう!特に来年から社会人なら!と思われた方もいるだろう。

甘いな!!

カラオケ嫌いの私はこれまでに断れなかったカラオケ回で積み上げたノウハウがあるのだ!!

行くと決定してからの言い訳等振る舞い方、ボックス内での座り位置、盛り上げ係/雑用係と周りに認識させるための盛り上げ方/行動、席の立ち方(場のノリ別)、一曲歌えと言われた時の断り方(場のノリ別)、断りきれなかった時の選曲(場のノリ別)、歌ったあとの空気の処理、などなど!

 

ただしこれは、こんな努力と苦労と気疲れに見合うだけの見返り(もしくはリスク回避)がある時にしかやりたくないので、大方は断ります。能天気にカラオケを楽しめる人になりたかったなぁ。トホホ。

だいがくよねんかん

あっという間にそろそろ、大学生最後の夏休みが来るらしい。

これって実質、人生最後の夏休みだ。早かったなぁ、こないだ大学入ったばっかだったのにー。

 

四年間でやってみたかったことはたくさんやった。だいたいやりたいことはやりきった感はある。あとこの夏で旅行とか行きまくれば、もうやり残したことはあんまりない。いや、正確に言うといろいろあるんだが、もう今からじゃどーにもならんことばかりなので、諦めたというか、考えないようにしているって感じである。

いちばん思うのはやっぱり、もっと勉強しておけばよかったなぁーということ。テスト勉強をしたり社会人の方と喋ったりするたびに、無知無教養だなぁと思うし、まだ若いんだからとか言っていただいても、そりゃあ大人の方に比べれば経験値もないし未熟だろうけど、それでも同じ授業をとっている大学生とかと比べてもなんともアホだしなぁ…と思うわけである。

あーもっとちゃんといろんな分野に渡って勉強しておけばよかったなぁーーでも勉強に時間割いたらこんなに遊べなかったかなぁーとか、考えてもしょーもないんだけど、なんとなく思ってしまうテスト期間であります。あと9ヶ月、遊びつつ精一杯できるだけ勉強したいと思います。ちゃんちゃん。

サービスに対価を払うこと

昔、一時期だけだけれど、家事代行サービスのバイトをしていた。

 

お客さんは1時間2000円ちょいで我々バイトを家や事務所に呼び、我々バイトはちょこっと中間搾取されつつも、まあまあの高時給で皿洗いや洗濯物たたみ、雑貨の仕分けや風呂・トイレ・部屋・ベランダや排水口・クーラーの掃除などなど、家事の範囲のことは大抵引き受ける。

お客さんには様々な方がいらっしゃって、お仕事や子育てが忙しいとか、お子さんご家族との時間を大切にしたいとか、単に人手が足りないとか、それぞれ様々な理由を抱えている。

我々の家事が行き届いていなければお客さんから直接注意をされるし、会社にクレームを入れられたりもする。それはお金をいただいている我々が対価に見合ったサービスをできなかったわけだから、甘んじて受け入れる。

 

旦那さん(もしくは奥さん)が家事を手伝ってくれない、と愚痴を言う主婦(もしくは主夫)の方を時々見る。

たしかに外注すれば1時間2000円かかるところを、身内には払わないどころか足りていないと文句をいうのはおかしな話なのかもしれない。

私は主婦経験もなければ今のところそんな予定もないし、実際主婦になってみればまたいろいろ違うのだろうし、子供の素人目に見た意見で机上の空論に過ぎないのかもしれないが、こういったバイトがある以上、「私の家事に文句があるならお金払ってプロに頼めば!!」という主婦(主夫)が出てきてもいいんじゃないかなぁとも思う。

 

こうなると今度、やらない側からはこういう意見が出るかもしれない。

(※以下イメージ)

「俺(私)だってやろうと思えばそれくらいはできるわ!そんなことにお金払うのはもったいない!!」

「じゃあお前がやれよ!!!」

「いや時間がないだけなんだよ、時間があればできるんだけどさ、あとさ仕事で疲れてるしさ、ほら体力があればでk(以下略)」

「そういうのを含めて『できない』っていうことなんだよ!!!!!」

……とまあこういうことなのであーる。

技術がないだけでなく、時間がない、気力体力がない、やりたくない、全て込みで結果だけ見たらそれは『できない』わけであーる。

 

人の仕事を見て、「あれくらいのクオリティのことなら自分もできるよ、あんなんでお金もらうとかアコギな商売だなぁ〜」などと言う人がいる。

そりゃークオリティが高いに越したことはないし、自分でできるなら自分でやるのがコスパは一番良い。

ただし、それを商売にしている人たちは能力的に『それができる(能力がある)』だけではなく、『それができる(能力があった上で) + それをやる(時間/体力/行動力がある)』というふうにもう一段階上乗せされていることを忘れないでほしい。

上記にあげたような様々な理由で『できない』人の需要がある限り、その商売は成り立つ。

 

もっとわかりやすい例で言えば、「外食」である。

そもそも(料理を作る)技術がない人は、お金を払って外注(外食)する。

技術はある(普段は自炊をする)けど、時間がない(忙しい)とか、体力がない(今日は疲れた)とか、行動力がない(めんどくさい)といった人も、お金を払って外注(外食)である。この場合、お金は『技術』だけではなく、『時間/体力/行動力』に払っていることを、絶対に忘れないでほしい。

要は『自分の足りないところを埋めてもらった代』である。

そこで、「私にもこれくらいのクオリティのご飯作れるし!!」と主張して馬鹿にするとかお金を払わないとかってなったら、そりゃあもうどう見てもただのクレーマーである。

「そんなに言うんなら外食なんてしないで自炊しろよ!!仕事早く終わらせて時間作るなり、残った体力振り絞るなり、めんどくさくても我慢するなりして自炊しろよ!!」ってなってしまう。

 

家事や外食を例に取ったけれど、これはイラストでも写真撮影でもデザインでも編集でも全部一緒。なのになかなかきちんとわかっている人が少ないのは不思議だ。

 

技術がない人、そのサービスを必要としている人にとってのありがたみはわかりやすい反面、技術はあるが何かが足りないという人にとってはありがたみを感じづらいのも事実ではある。

しかしサービスする側としては、対価がもらえなければビジネスどころか生活も立ち行かないし、家族内なら生活が立ち行かなくなることはないにせよモチベーションが上がらない。

家事代行や外食、イラスト/写真/デザイン/編集その他サービスでもなんでも、『自分の足りないところを埋めてもらった代』を払わないことにはフェアではないし、最悪何なら代金未払いの軽犯罪かなんかになる(ような気がする、法律はよくわからん笑)。

パートナー間や家族内で金銭のやり取りをしろとまでは言わないけれど、パートナーに家事を任せるのであれば、頑張って働いて稼いでくるなり、ボーナスでなんかプレゼントでもするなり、何らかの形で家事時給分くらいは還元しないと割に合わない。

バイトや社員を雇って丸投げするとかってなっても、彼らは『雇用主である自分を手伝ってくれる』というサービスをしてくれたことに、対価としてお給料を払わなければならない。見方を変えればこれも原理は同じである。

いずれの例でも、それができないなら作業分担は必須になってくる。

 

何が言いたいかと言うとだな、結論は一つ

 

『サービスにはそれに見合う対価を払ってくれ!!!!』

 

以上!

 

一行でまとまるならこんなダラダラ書くなよ!と思ったそこのアナタ、タイトルだけ読んでおしまいにすればよかったのに、ここまで長いことお付き合いいただいてありがとうございました。